先日、ようやく話題のスピルバーグ監督最新作『レディ・プレイヤー1』を鑑賞してきました!
簡単に感想を書いていきたいと思います!
※ネタバレ注意!
●世界観は最先端なのにノリは昔ながらの“冒険活劇”?!
『レディ・プレイヤー1』鑑賞後、職場の先輩(アラフォー)と本作について話す機会がありました。
管理人(20代)はというと「~から○○が参戦してて感動でした!!、終いには□□と××が決闘するなんて…」と豪華参戦キャラについての感想ばかりを述べていました。すると先輩は「自分の世代とは楽しみ方が違うなぁ~」と一言。
先輩いわく、「世界観は“VR”だのなんだのと最先端なものだったけど、個性豊で思春期真っ盛りな子供たちが“お宝(イースターエッグや三本の鍵)”を探したり、悪役がどこか憎めなかったりと80年代に見た『グーニーズ』なんかを思い出しちゃった」そうです。
その後先輩は「懐かしいなぁ…」つぶやきながらどこかへ消えていきました…。(背中に哀愁がただよっていました。)
『グーニーズ』は海賊の秘宝を求め少年たちが冒険するという王道な“冒険活劇”物ですね。
時代は変われど、男の中に眠る少年らしい“冒険心”をくすぐってくれるのは冒険活劇的なプロットだけなのかもしれません。
●『大人は分かってくれない』に通じる“現実”というテーマ…
以前、映画評論家の町山智浩さんの解説で知ったのですが、スピルバーグはフランソワ・トリュフォーの大ファンなんだそう。
フランソワ・トリュフォーはヌーヴェル・ヴァーグ(50年代フランスの映画運動)を代表する映画監督です。私は『レディ・プレイヤー1』鑑賞後すぐに、フランソワ・トリュフォーの代表作『大人は判ってくれない』を思い出しました。
『大人は判ってくれない』は、家庭、そして学校でも自分の居場所が見つからず“現実”に失望している少年のお話。少年には映画を見ることによって、つらい現実から逃避するという習慣があります。まるで「オアシス」に没頭するウェイドのよう…。
スピルバーグのSF作品には、登場人物たちが“現実”と“非現実”との間で揺れ動く…、そしてどちらの世界を“自分の居場所”とするか彼らなりに“答え”を出すという流れが多いような気がします(『未知との遭遇』とか)。こういったストーリーの源流には、現実に失望し、逃避する少年の苦悩を描いた『大人は判ってくれない』があるように感じました。『レディ・プレイヤー1』や『大人は判ってくれない』は時代は違えど、現実との向き合い方を教えてくれるようなありがたい作品だと思います。
総括!
以上、『レディ・プレイヤー1』を鑑賞して管理人が感じたことを簡単にまとめてみました!
敢えて色んなレビューなどで取り上げられている「参戦キャラの豪華さ」については述べませんでした。
しかしながら、本作の第一印象は「ザ・お祭り映画」といった印象でした (笑。
色んな側面を持っているのがスピルバーグ作品の良さだと改めて感じさせられる作品でした!
自分としては、2010年代で隆盛した80年代リバイバルブーム(特に音楽ジャンルのSynthwaveがその特徴を明確に表していると思う)を、その源流たるスピルバーグが総括的に世に送り出した記念碑的作品ってイメージでした。しかし管理人様と、先輩様のやり取りは何か年齢・世代を超えたこの映画のメッセージを感じますね。80年代当時を知らない世代はキャラクターに、当時を知る世代はノスタルジーに心躍らせる。実は、オアシスは生きているこの世界そのもの、という解釈はちょっと格好つけ過ぎですが…世代が違う人間が一つのものを共有することの楽しさを再認識させられますね。