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『ゴジラ』の知られざる誕生秘話part①

日本が世界に誇る怪獣の王ゴジラ。映画界の多数の人物に影響を与えており、現代のモンスター映画の源流といっても過言ではありません!そんなゴジラが誕生するまでには、様々な秘話や裏話が隠されていました。今回は知られざるゴジラ誕生秘話を数回の記事に分けてご紹介します。


1.ゴジラ制作の動機はあの怪獣映画…

ゴジラやウルトラマンの生みの親として知られる円谷英二。彼は昭和8年(1933年)にある作品を鑑賞し衝撃を受けます。作品の名前は『キング・コング』。縦横無尽に暴れまわるキングコングを目にし、「『キングコング』のような特撮をメインとした映画を撮ってみたい」という夢を抱いたそうです。

2.円谷英二が初めに抱いた怪獣のイメージはゴジラのような恐竜ではなかった

円谷英二の許に、旧友の映画監督佃血秋が興味深い話を持ってきます。
「インド洋に化け物のような巨大なタコがいて、船舶を襲うという実話があるんだ…」
実話かどうかは怪しいですが、この話に強くひかれた円谷英二は“インド洋で巨大なタコが数々の捕鯨船を襲う”というストーリーを作り上げます。しかし「このように子供じみた話が受け入れられるだろうか…」と自信が持てなかったようで、自ら企画会議に持ち込むようなことはしなかったそうです。

3.ゴジラの企画を持ち込んだのは円谷英二ではない

巨大タコ映画の企画提出を尻込みしていた円谷英二。そんな中プロデューサーである田中友幸が、アメリカ映画『原子怪獣現る』や、当時問題となっていたビキニ水域でのアメリカによる水爆実験から着想を得た“恐竜が水爆実験の影響で日本に現れ、東京を襲う”という物語を考え付き、企画を東宝に持ち込みます。この企画こそがゴジラの“出発点”となったのでした。

4.ゴジラは日本とインドネシア合作映画の代わりに制作された

ゴジラを企画した田中友幸は、ゴジラのストーリーを思いつく前に一つの苦い経験を味わっていました。
インドネシアとの合作映画を企画し、それが頓挫してしまったのでした。原因は日本とインドネシアとの国交が正常ではなかったため、「合作映画の製作など許可できない」という米国の介入があったこと。田中友幸はこの大きな損失を補うため、ゴジラを企画したのでした。

5.ゴジラの名前の由来はオジサンのあだ名?!

ゴジラは最初の企画段階では「G作品(Gはジャイアントの意)」と呼ばれていました。これでは味気ないと考えていた田中友幸の許に面白い話が舞い込んできます。話とは「東宝の演劇部に容貌魁偉なオッサンがいて、そいつのあだ名がグジラというんだ。ゴリラとクジラの合いの子という意味らしい」というもの。グジラでは語呂が悪いと感じた田中友幸は、この話を基に語呂の良い“ゴジラ”という名前を考え出したそうです。

まとめ!!

今回は五つのゴジラ誕生秘話をご紹介しました。
ゴジラ誕生には円谷英二だけではなく、田中友幸というキーマンが大きく絡んでいたんですね!
今後も数回に分けて、ゴジラ誕生秘話をご紹介しようと思いますので、ご期待ください!

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