それ
オリジナルファンのチャラい精神構造が露呈したから
それだと話のつじつま合わなくなって
(デッカードの子供がレプリカントの子供なら、デッカードはレプリカントじゃないと話が合わなくなる)
ので、理解できなくなって投げちゃったのだろうw
って言っときゃいいの?
2049がウケないわけだわ…
寿命設定もなく、子作りができるように作られた新タイプのレプリだった。
かつて神が自分に似せて人間アダムとイヴを作り、産めよ増やせよとなったように
人間は神の領域に達し、人間に似せたデッカードとレイチェルという子孫を繁栄できるレプリカントを造った。
2049はそういう神と人間から、人間とレプリへとつながる話なんだが、「デッカードは人間だ」と思い込んでる無知だと
それがまったく理解できないんだろ。だから2049を楽しめないw
かつて神が自身に似せて人間を作り
アダムとイブに「産めよ増やせよ」といった創世記の思想があるから
デッカードとレイチェルが、人間が神の領域に踏み込んで
自身に似せて作り上げたレプリが2049ではアダムとイブのごとく、ついに子孫を残せるようになった話だと
簡単に理解できるんだが、
それが今だに「デッカードは人間だ」と言い張る馬鹿だと、話が合わなくなり
さらには根本からして聖書の思想もなんもないから、まったくちんぷんかんぷんになって
「2049は何を言いたいのか意味わからん。糞だな」としかならない。
なので『なぜブレードランナー2049はオリジナルに及ばなかったのか』と思うやつは
基本的に「デッカードは人間だ」と言い張る馬鹿だから話を理解できなくて楽しめないからだろ?となる
1作目のデッカードは間違いなくレプリカントだ。というより、登場人物の中に
人間はほとんどいない。世界全部がシミュラクルだ。
ところが2049では設定をリセットして、デッカードが人間だったことにしてしまった。
レプリカントが人間とつがって生殖できるフェイズに達したことで、レプリカントは
初めて人間並みの存在として認められた。新しい楽園の誕生だ。
もちろん、2049の世界にはデッカードの他にも人間がわんさかいる。その証拠が
捨てられた子供たちだ。1作目には子供が全然出てこない。レプリカントは最初から
成人の姿で製造されるから、子供が画面に登場する余地がない。
1作目と2049では、あえて設定を変えた。その捻りが面白いと思ったね。
>1作目~登場人物の中に人間はほとんどいない。
そんなことはない。ガフとかセバスチャンとか普通に人間だろ。
理由は、もしガフがレプリだったら足が悪くなった時点で処分して
足の悪くないレプリに置き換えられるだろうからさ。
オフワールドに皆逃げようとして、酸性雨の降るあの環境劣悪世界で暮らして体に欠陥抱えてる奴はほぼ人間。
逆を言うと、あの環境下で五体満足な奴がレプリカントw
>ところが2049では設定をリセットして、デッカードが人間だったことにしてしまった。
してない。
デッカードはレイチェル同様に、タイレルが作った新型のプロトタイプで
「寿命制限なし、子作りのできる」レプリカントだ。
>レプリカントが人間とつがって生殖できるフェイズ
それだと、人間が半分必要で、レプリカントだけで繁殖できないから意味をなしていない。
ライオンはライオンと交尾してこそライオンを生む。
ライオンがタイガーと交尾して子を産んでも、ライガーでしかない。
ライオンの繁殖ではない。
父親が人間だとレプリの繁殖ではない。
父親も母親もレプリカントだからこそ、その子供、その孫と
レプリだけによる繁殖可能な時代が来ることを示唆していて、意味がある。
どうかな。原作がディックだということを忘れてないか?
何が本物かわからない。本物だと思っていたものが突然偽物だと判明する。
偽物が本物に偽装するためなら不具にでも小人にでもなる。多様性が人間の属性なら
それを模倣する偽物も多様でなければならない。そこまでイッてる世界観だから面白い。
>どうかな。原作がディックだということを忘れてないか?
原作と映画は別物。原作と全く同じ内容の映画のほうが少ないくらいだ。
なので、原作はこうだから…という理論はナンセンス。
そもそも一作目のデッカードはレプリカントだけど、続編は人間とか
それだと話がつながらないじゃないかw
勝手に設定を作るなw
1作目の脚本家はディックの思考をとてもよく理解している。原作に忠実な脚本を
書こうとしたのではなく、ディックの考え方に共感したんじゃないかな。
>話がつながらない
俺が解釈したようなビジョンは、キリスト教圏では非常にラジカルだ。一般の
観客には受け入れがたいだろう。神が加護するはずの人間が滅びて、人間まがいの
偽物が人間文明を引き継ぐなんて、彼らには許せないはず。
だからリドリーは最終段階で解釈の余地を残した。デッカードが人間かレプリカントか
を曖昧にする形でね。その結果、DVDボックスの特典映像で討論が行われたぐらいだ。
リドリーが残した解釈の余地を狙い撃ちするように、2049ではデッカードは人間だと
設定を翻した。やられたと思ったよ。
君の理解が間違ってる。
つながってる設定下で一作目はレプリカントだったのが、続編で人間になった!というのはない。
1作目でも続編でもデッカードがレプリカントは同じ。
それだけの単純明快なことだ。
君のオツムがある種、やられたんじゃないか?
俺の考えと、出来上がった映画の実相は同じではない。
デッカードがレプリカントである方が自分にとって面白いと俺は判断した。
一方、最終的な編集は、デッカードはレプリカントかな? 人間かな? と迷わせるように
仕上げてある。だから論争が生じた。制作側の意図通りに。
あの編集には多分にワーナーの意向が入っていると思ったね。
だいたい、映画の設定が何から何まで辻褄が合ってるなんて俺は考えない。そんなのは
不可能だし、面白くもない。現場でどんどん変わっていくし、編集室でひっくり返すことも
できる。設定を神のように崇めて疑わず、不可侵だと信じ込むのは、作品を神格化しておいて
自己同一化したがる観客の典型的な病理なのだよ。スタートレックの頃からいっぱいいる。
レプリカントを改良して人間そのものにしてしまえば、人間と組ませて繁殖できる。
そのための試験体がレイチェルだった。デッカードは人間の側の代表だ。
人間対レプリカントの構図で戦いが始まりそうになるが、その戦いはリムジン内の
抗争に圧縮されて片がつく。物語は人間とレプリカントを融合する方向へ進む。
そのための犠牲となって、2049の主人公は死ぬ。1作目のラストで孤立して死んだ
ルトガーとは対照的に。
そんな勝手なこじつけはどうでもよくて、
前作と2049は同じ設定の時間軸の同じ世界観でつながってるので
「前作ではレプリカントだけど、2049では人間になっちゃった」とか、そんなコメディーじゃないからw
前作でも2049でもデッカードがレプリカント。それは基本中の基本。
リドリー・スコットいわく「ここまでデッカードはレプリカントだとさんざん説明してネタバレしても、まだわからない奴は馬鹿だ」
>デッカードは人間の側の代表
わざわざブレラン辞めて、屋台で飯食ってるような(いわば、人間代表にするには落第)なやつを呼び出して
なぜ人間代表になるんだ?
普通に考えて、デッカードはレイチェルと子作り可能な新型プロトタイプとして対で作られ
偶然を装って会わせられて、愛し合い交尾するように作られたのだろう。そう考えるのが自然な流れ。
デッカードがもし人間だと、子作りよするようにそれに選ばれた理由が一切見つからない。
脚本家の頭の中では、デッカードは立ち食いする30分前にタイレル工場の生産ラインから
出てきたばかりだ。偽物の記憶を頭の中に押し込まれた後で。
言っただろう、全てが偽物だと。
>普通に考えて
俺は普通に考えるのが嫌いだ。そんなもの、映画の外側でいくらでもやっている。
普通に考えるために映画を見るなぞまっぴらだ。
>デッカードがもし人間だと、子作りよするようにそれに選ばれた理由が一切見つからない。
1作目でたまたまレイチェルと絡んだから。それで十分だ。観客に向けた説明としてはね。
>1作目でたまたまレイチェルと絡んだから。それで十分だ。
たまたまじゃない。ブライアントがタイレルに一匹いるからテストして来いと
すでにロイたち逃亡レプリは顔が割れているのに
始末すべき相手と関係ないレイチェルにタイレルとブライアントがデッカードに会わせたんだよ。
2049でウォレスはこう言う。
「デッカードはレイチェルと出会い、愛し合い子供を作るようにプロフラムされていた」
デッカードと同じ記憶を流し込んだレプリカントを、タイレル社は何ダースでも用意できる。
同様に、レイチェルと同じ記憶をもたせたコピー品を何十体でも用意できる。
タイレル博士だって何百人でも複製が取れる。ただ、観客のためを思えば登場人物を
絞り込む必要があるから、たまたま任意のデッカードとレイチェルを見せているに
過ぎない。観客が見たデッカードとレイチェルが特殊な例という根拠は映画の中にない。
>2049でウォレスはこう言う
登場人物が真実を語る保証はどこにもない。餌に糸がつけてある場合もある。
俺は第一にミスリードを疑うね。その方が面白い。
「帝国の逆襲」のルークの父親はベイダーに変更されたとか、そんなのないからw
全部「ルークはベイダーの息子」
それと同じで原作は別にして、劇場版一作目の「ブレードランナー」でも
完全な続編の「ブレードランナー2049」でもデッカードはレプリカントです。
スターウォーズの陳腐で保守的な世界観はディックの思考と相容れない。比較の対象には
不適切だ。
>同じ設定の時間軸の同じ世界観でつながってる
そう考えたいなら止めはしない。だが、街の外、農場、子供達、ラスベガス、海など
1作目に出てこない設定を2049ではこれ見よがしに描いている。世界観を引き継いでいる
なら、なぜ1作目と同じく街の中だけで完結する物語にしなかったんだ? それは十分に
可能だったと思うがね。
>ここまでデッカードはレプリカントだとさんざん説明してネタバレしても、まだわからない奴は馬鹿だ
フランク・ダラボンが馬鹿の代表として熱弁をふるっていたな。
人間もどきが主人公の映画なんて、メジャーが配給する作品にはなじまないのさ。
フォックスならともかくワーナーでは無理だ。そんな映画は観客を不安にする。
スターウォーズですらシリーズ通して設定はつながってるのに
ブレランでは、レプリカントが続編になると人間に変わるのか?
君のいい加減な間違った発想押し付けこそが陳腐。
フランク・ダラボンより
「レプリカントだったのが続編で人間になった」というお前の陳腐なでたらめ発想こそが間抜け。
身体能力や知力は人並みで繁殖能力がある
人間の細胞から作った人間だろそれ
>デッカードとレイチェルのつがいの試作レプリ
>人間の細胞から作った人間だろそれ
少なくともデッカードとレイチェルは精子と卵子から生まれた人間ではないし、
記憶も移植された、言ってみれば人形だ。
それが限りなく人間に近かろうが。
神が自身に似せて作った人間は神ではない。
能力に注目ね
人間並みならレプリの意味ないんじゃ
過酷な労働環境に投入すれば即死
>能力に注目ね
>人間並みならレプリの意味ないんじゃ
他の星で重労働させるレプリには体力設定Aにするだろうが
(ブライアント署長の説明時にモニターのロイたちのプロフィール画面の体力設定Aとある。
つまりレプリの体力、知力等の設定ができるということ。)
地球で活動するレプリだと、異常な体力があるとすぐにレプリだとバレるだろ。
だから地球で活動させるには体力設定は人間並みに抑えるだろ。
あと、そうしないと人間に危害を加えかねないからという理由もある。
レイチェルは確実にレプリだがデッカードより体力がないのと同じ。
>地球で活動するレプリだと、異常な体力があるとすぐにレプリだとバレるだろ。
2049でもオフィサーKがレプリとして人間社会で共存してるように、
レプリがレプリであることがバレた状態で存在することは大前提でしょう。
もし人間よりも能力を持ったKが人間に危害を加えたら即処分されるだろうし、そこはデッカードも同じでは。
ということから考えると地球上だからってデッカードの能力を生身の人間と同じにする根拠が見えてこない。
もしも対戦闘レプリカント用戦闘レプリとして投入したということならわかるけど、ゾーラにすらパンチで倒されるしw
あまりにも間抜けすぎるだろう
そもそも繁殖目的のレプリをなぜ開発施設内で研究せず表に出したのかという理由も見えてこない。
設定が甘いという説明で片付いちゃうけどね。
その根拠を聞きたい!
デッカードが人間とレプリカントの橋渡しをする人物、メディエーターだからだよ。
彼はその任務に一度失敗している。1作目のラストでね。2049はリターンマッチ。
二つの世界をつないで一つに融合する。それが新世界の曙ってわけ。
ラングの「メトロポリス」で主人公フレダーが資本家と労働者の間を取り持った構図の
コピーだ。
>デッカードが人間とレプリカントの橋渡しをする人物、メディエーターだからだよ。
そんなのは君が勝手に勘違いして思い込んでる、こじつけなだけだよ。
前作が監督のネタバラシで「デッカードがレプリカントだ」とはっきりして、負けを認めたおまえが
「ちくしょー、前作ではデッカードがレプリカントだったとしてでも、2049では人間だ!」と馬鹿なゴリ押ししてるだけにすぎん。
何度もいうが、前作も2049も設定はつながってるので、どっちもデッカードはレプリカントだ。
少なくとも、「前作のデッカードはレプリだけど、2049では人間だよ」ってのは
「お前正気か?」とオツムを疑う。陳腐以外の何物でもない。
2049ではデッカードは人間だという根拠は何だよ?何もない。
ヴィルヌーヴは単純明快な続編を志向しなかった。だから1作目を解体して再構築した。
別の作品なんだよ。1作目で行方不明になったレプリカントを追い回すとかいう退屈な
方向(ジーターの原作がある)に行かず、あえて冒険に挑んだ。そこに価値がある。
設定や世界観の共通項が邪魔なら破壊して練り直す。それによって見えてくるものが
ある。そこまで行った続編というのは、なかなか見つからない。2049は満点だな。
表面的な設定は受け継いでいなくても、それより上位にある思想は受け継いでる。
わからないのかな。SF向きのおつむじゃないね
「前作のデッカードはレプリだが、2049では人間になった!」なんてSFでもなんでもなくそれだとB級コメディーだ。
お前はオースティンパワーズでも見とけw
ただただお前が馬鹿なだけ。
「自然界にいる馬に似てるが、自然界にはいなくて人間が創造したユニコーン」
それを見て、デッカードは自分が何者か悟って、うなづく。
その時その時で判断は違ってくる。そうであり、そうではない。確かなものはない。
そういう感覚を観客に与える映画として、1作目はとてもよくできていた。この路線は
マトリックスで大きく開花する。最後には、自分がそう信じればそうなのだ、という
単純な帰結に向かう。そこが面白い。
人間だろうがレプリカントだろうが、どっちでも同じだ。そう考えるほうが面白い。
ブレードランナー2049でデッカードが人間だという証拠はどこにあるんだ?
根拠はないだろ?
そもそも2049で老いたハリソン・フォードを出演させるために
「ネクサス8型は寿命設定がなくなり、年を取る」とまで設定したのは
「ハリソンフォードがレプリカントだと年取ってるのがおかしいじゃん」と言われるから
ネクサス6は4年の寿命設定だったけど、デッカードは寿命設定なしだとして
レプリカントの年老いたハリソンフォードを登場させても、つじつま会うようにしたからだよ。
この点からも、2049のデッカードもまたレプリなのだよ。
繁殖のためという答えはナンセンス
繁殖するにしても人並みに作ってしまったらレプリの意味が無いからだ
この問いに答えられたものは一人もいない
こんなもんかね。だめだな。ディックにもリドリーにもヴィルヌーヴにも追いつけない。
細かい設定ばかり見ていて全体を見ていない。オタクっぽい視点ってやつ?
お前のレスが繰り返しに陥ってる原因は、俺の考えが読めてないせいだ。こっちが
お前から学ぶことはもうない。ご苦労さん。
「前作のデッカードはレプリだが、2049では人間」だと言い張るお前が一番理解してないと思うけどな。
馬鹿というしかない。
30年間、ベガスにこもっていると人間に変わった!これこそSF!
そんなバカなことはない!!!wwww
馬鹿の妄想についていけんわ。wwww
頭痛くなるわwwww
↑
もっとも映画を理解してない奴の発想だ。
それを語る以前の基本として、少なくともこれだけは言っておく。
前作も2049も時間軸も設定もつながってる話なので
前作と2049のデッカードは同じ人物で
前作がリドリースコット監督いわく「デッカードはレプリカント」なのだから
設定を引き継いでいる2049もまた「デッカードはレプリカント」以外にはありえない。
その基本を押さえてから語るがよし。
ありゃ後付けだろ。
ハリソンフォードも「そんな話は聞いてないしそんな演技もしていない」って長らくおかんむりだったからね。
それ以前の凡庸なB級アクション映画だったからだろ
いくら批評家のウケが良くても、興業収入がシャレにならない位の大赤字だから
ルドカー・ハウアーも2049に関わらなくて正解、本人も呆れてたみたい
問題は全然その域に達していない佳作レベルの映画しか作れなかったとううこと
興業的にコケただけでなく、話もより(悪い方に)複雑にしただけだった
ブレードランナーの問題はリドリーとハリソンの不仲。和解したけど、やっぱり同じ現場は嫌なんだろうね。
どっちつかずの凡作になったってイメージ
ヴィルヌーブに任せるならもっと思い切るべきだし
ハリソンの出演も無くて良かった
大停電みたいな便利なプロット作ったくせに
思い切れなかったんだな
ぶれランじゃなきゃぜってー見ないやつ
根暗そうなのが勝手にかっこいいと勘違いしてる奴。
ゴズリングはドライバーでやった役のほうが不気味さが出ててレプリカントぽい
2049は感情が表に出すぎ
人間同様な長寿型もいれば子作りもできますって・・は?って感じに
陳腐な設定のオンパレードで萎える
2049は寝る前に環境音楽として流しておくぐらいがちょうどいい
デトロイトのほうがはるかに面白い
観てなきゃ寡黙なヒーローだけど
観てるとグズ野郎に見えてくる
両監督もデッカードがレプリカントだとしたら、そこから生じる数々の矛盾点に納得のいく説明をしないと、この議論は永遠に続く
2049はハリソンの顔を立ててどちらか分からないことにしてる
監督の一存でどうこうできることじゃない
映像と音楽で世界感を作っただけのクソ映画
困るのはその世界感がとんでもなく素晴らしく未だに誰も超えるものを作れないこと。
オリジナルは脚本もいい
2049と違ってちゃんと原作や設定を整理できてる
そんだけだもんな
他に何もない